男女別型トイレ

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なんまぁー何てシックに気取った男女別型トイレなこと。ストリートファッションでもあるいし、いい加減にしろと言いたい。しかし待て、公園トイレや公衆トイレは既にとっくの昔からストリートファッションの一部に組み込まれているのかもしれない。そうじゃないと思い込んでいたのはクルクルパーの私ぐらいかもしれない。そうじゃなければ、あんがい単純な機能さえ備わっていれば問題のないトイレが百花繚乱のように街中に咲き乱れるなんてかったはずだ。公園トイレをいっぱい見てきてそんなことにも気づかなかったなんて、心底ノータリンだ。
公園トイレや公衆トイレがストリートファッションなら、もっともっといろいろあったっていいだろう。私の時代で言えば、モッズ風とか、サイケデリック風とか、グループサウンズ風とか、ロックンロール風とか、成りあがり者風とか、四畳半フォーク風とか、演歌風とか、艶歌風とか、昭和残侠伝風とか、仁義なき闘い風とか、金曜日の妻たち風とか、北の国から風とか、ロッキー・ランボー風とか、スケアクロウ風(私の大好きだった洋画)とか、いっぱいあっていいはずだ。が、さてそんな風なトイレって誰が考えて、誰がつくって、誰が利用するのか・・・私に任せておけと言いたいのだが・・・。

男女別型トイレ

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男女別型トイレ。
先日、区の健康診断があった。いろいろな検査や問診の前に看護士による事前の質問があり、その中で一日に何回ぐらいオシッコに行くかとか、夜中にトイレに起きるかとか、オシッコが途中でとまることがあるか等々と尋ねられた。どれにも正直っぽく返事をした。だいたい一日のトイレ回数なんて数えている奴がいったいどれだけいるのか。そんな統計のような奴はオンナにもてるはずがない。オシッコは生まれてからずっとしている。オネショで散々怒られた時期もあるが、オシッコはずっとし続けている。ご飯だってずっと食べている。いっぱい食べ過ぎて少々太ったこともあるが、どちらにしてもそれらが病気に結びつくとは微塵も思っていなかった。それがそうでもないことが、ジジィーになったと言うことなのかもしれない。
今日のオシッコ回数はすでにまったく覚えていない。そんなことより、他にしなければならないことが私にはいっぱいある。あれも、これも、あいつも、そしてその他のこともやらないと、仕事が終わらない。私は仕事も働くことも大好きなのだ。神様、そんな私をビョウキにさせないで。

男女別型トイレ

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トイレの天窓も妙に仰々しい。これも何らかの主張なのだろうか。
トイレにも時代や景観、はたまた流行やランドマークとして、或いはその他諸々の意味を含む主張が込められている。そんなのは公園設置者や管理者の勝手だが、せめてきちんと清掃をし、ちゃんと防犯に対処し、破壊や悪戯・落書きに耐えうるモノとしてのトイレを管理してほしい。また利用者もペーパーをドロボーしたり、鏡を割ったり、煙草を吸ったり、犬の糞を投げ込んだり、その他変なことに利用してはいけない。こうしたいけないことの中には犯罪もあれば、道徳感の問題もあるが、どちらにせよ、そんなに難しいことではない。保育園の子どもでも分かることだ。
「でるものところかまわず」と言ったりもするが、本当は構うのである。だからこそ、公園トイレや公衆トイレは清潔でなければならない。分かるだろう、諸君。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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男女別型(誰でも用付設)トイレ。
女子用と誰でも用の出入り口を近づけ、男子用を少し遠ざけたつくりのトイレ。こうしたタイプもあれば、誰でも用をまん中にはさみ、男女別を左右に振り分けたものも多い。みんなの使い勝手はどれが一番いいのか、私には分かりかねる。最も弱者である誰でも用利用者の意見が聞きたい。
公園トイレで私が困ることはほとんどない。区にもよるが、どんな公園にトイレがあり、どんな「公園」にトイレが設置されていないかは役所からもらった施設地図を見れば大方わかる。当然読みが外れる場合もあるが、近くに他の公園があることも多いので助かる。別段、トイレに行くために公園調査を行っているのではない。公園が特段、大好きな訳でもない。遊具の愛好家でもない。すべり台に自分の未来を託していた訳でもない。お年寄りや子どもたちと特段仲良くしたい訳でもない。樹木や草花に酷く愛着を持っている訳でもない。公園を設計してみたいこともない。こんな公園やあんな公園をつくりたいと言う訳でもない。公園でヤギを飼いたい訳でもない。公園で素敵な夕焼けを見たい訳でもない。公園で素敵な女性とデートをしてみたいこともない。懐かしい友と公園で再会したい訳でもない。本当にそうなのだ。でも公園には行く。行ってあれやこれや、見てきたことや感じたことをあっちやこっちに書いている。それだけなのだ。本当にそれだけの、薄っぺらの、中身のない、くだらない男のたわ言なのだ。
あえて言うなら、だからこそ仕事でも何でもないのに、人生の多くの時間を使って公園調査に励んでいる。みっともないのかなぁー。

大小別型トイレ

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和風の大小別型トイレ。お城型は決して珍しくはない。
たとえば戦前の公衆トイレや公園トイレはどんな形をていたのだろうか。調べてみたい気もするが、そんな資料はどこにあるのだろうか。やっぱりイナックスだろうか。
地方に行けば古いタイプのトイレが今もあるかもしれない。トイレの外形などを紹介や特集している地方のサイトやブログをご存知の方がおられましたら教えてください。古いトイレにはかつての日本人の庶民感覚のトイレに対する思いが凝縮しているような気がする。それもまた日本の大切な文化だろう。私はかなりの野暮で粗雑でどす黒い文化とはまるで正反対に位置するロクデナシだが、公園トイレや公衆トイレに関しては独自の考え方をもっている。なんの役にも立たないが・・・当たり前です。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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男女別型の本体脇に誰でも用が設置されている。なぜ別棟にしたのかの事情は分からない。しかし、こうした造りのトイレは珍しくない。
後から必要なものをくっ付ける手法はいろいろな状況で見られるが、公園遊具に関してはそのようなことはほとんど見られない。それはなぜか。たぶん完成度とかそうした類のものではなく、単にコストの面からくるのだろう。古くなって痛んだ部品を交換するのは時代が、流行の遊具診断(検診)の結果、たびたび見られるようになったことぐらいだ。派手で立派な遊具を次から次と公園に設置するより、公園利用者の安全安心を考え、頻度に具診断(検診)を実施した方が受けがいいことを自治体の政治屋どもは感じ取ったのだろう。全ては選挙のためだ。
公園トイレを次から次へと新しいものへ変えていくのもまた選挙対策だとしたら、公園は闇に隠れかねない。政治屋とはオソロシヤ。

男女別型トイレ

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見かけは男女平等。寸分変わることなく同じ。
トイレならこれでもいいが、人間社会となると、全てが同じことを男女平等とは言わない。社会とははなはだ難しくもあるが、あんがい譲るところは譲っていけば、それで物事はうまくいく。たとえばご飯は、つくり手と洗い手がうまくすみわけすれば、何でもおいしく食べられる。すみわけが上手くいかないから、まずいの、下手だの、遅いのとなる。平等とはたぶんそんなことだろう。間違っているかなぁー。
私の今日に夕飯は、あれと、これと、それと、それ。これ以上は書きたくない。仕事をするデスクの上で、テレビを見ながら10分もかからなかった。これしゃ早死に間違いない。平等以前の問題だ。

男女別型トイレ

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男用しか写っていないが、反対側に女子用もある。
公衆トイレや公園トイレなどには男性・女性が誰でも簡単にわかるよう文字表記と共に判別可能な絵も記されている。なぜかわからないが、男性は黒色、女性は赤色になっている。これではタイガーマスク氏が送ってくれるランドセルの色とかわりない。
それはそうとして、絵(マーク)の方だ。いろんな絵が氾濫している。少年を模したマークもあればステッキを持った山高帽紳士の姿もある。どこだか忘れたが、野球選手の絵もあった。そこの女性用の絵は覚えていない。
ことは然様にいろいろあって面白すぎる。いつかこの絵だけの特集をするかもしれないし、しないかもしれない。ようは気分次第か。
そうそう、道路工事などの屋外工事で「ご迷惑をおかけしています」と記されたアレ、工事現場の人が頭を下げている絵の描かれた案内板(看板)を見ることがあると思う。これにもいろいろなタイプ(デザイン)がある。いったいどんな人がデザインしていのか興味があった。あるとき、知り合った貧乏イラストレーター(この言葉も死語になった)と話していたら、「自分も何度か描いたことがある」と言う。
世の中にはいろんな仕事があるので、トイレの男女マークを専門にデザインしている人がいてもおかしくない。確かにおかしくはないが、あんまり儲かりそうにはない。まして自慢話にもならない。たぶん誰も信じてくれない程度の与太話と思われるのが関の山だろう。
そうそう、あるとき、公園情報センターのサイトをけちょんけちょんに貶した超一流建築家と思しき人物が「公園トイレのような建物を設計している人物とはどんな人なのだろう」とお話されていた。そのお言葉の雰囲気は「くだらない三流の仕事」と言った感じが色濃くにじんでいた。みんな自分のできる範囲で一所懸命仕事をしているのだ。
あの超一流建築家と思しき人物はデフレの今、派手な仕事もなく、世間の冷たい風に晒されていたら面白いのだが・・・。

男女別型(誰でも用、災害用付設)トイレ

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最新式の男女別型(誰でも用、災害用付設)トイレ。少し大きいような気もするが、設置場所が大きな公園だったので、これぐらいは必要と考えたのだろう。
災害用の屋外付設トイレは現実には日常見ることのできるのはマンホールの蓋だけだ。実際はその周りに目隠しの囲いを設けて使用する。しかし、そんな訓練を私のような公園バカでも一度すら見たことが無い。
公園でのんびり鼻くそをほじるのも気持ちいいし、バーベキュー広場でエバラ焼肉のタレの匂いを嗅ぐのも楽しいが、そんな自分の都合のいいことだけが、明日も明後日も、その次もずっと続くわけじゃない。大きな震災時、自分の命は自分で守るしかない。また守る場所だって現実には野ざらしの公園ぐらいしかないのが、東京なのだ。

大小別型トイレ

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この古いタイプのトイレは、あるところにはいっぱいあるし、またある自治体には非常に少ない。理由はいろいろだろうが、要はいっぱい売れた形のトイレなのだろう。
公園トイレをいっぱいつくっていっぱい売れ、それで儲かったのと、おいしいケーキをいっぱいつくっていっぱい儲かった話では、なんとなくいろんなことが同じようでもあり、違うようでもある。これ以上追求すると、私の氏素性もバレソウなので、このへんでやめるが、今の公園トイレは戦国時代の様相を呈している。写真のような大ヒット作が見当たらないのだ。
さて、私の素性だが、単なる公園好きのおっさんでしかない。残念でしたーあ。

大小別型トイレ

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これもだいぶ年代モノのトイレ。だいたい男女別型ではなく大小別型トイレは古いものが多い。たぶん小型の公衆トイレは男性利用を主眼につくられていたのかもしれない。女性の社会進出に伴って少しずつ男女別型トイレが一般的になったのだろう。はっきり言って、公衆トイレからみると男女差別にも甚だしいものがあったのはよく分かる。

大小別型トイレ

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こんなに古いトイレも今では珍しくなりつつある。
古いトイレがあると言うことは、以前からそこに公園があったと言うわけだ。公園にトイレを設置するかしないかの区別は誰がどのようにして行うのか。たとえば地域の親方のような人の一言や議員の口ぞえなんかも以前はあったのかもしれない。今では地域で行う説明会のような場所で検討され賛否を問うのかもしれない。となると園内での設置場所も議論の対象となるだろう。誰も自分の家のまん前に匂い立つようなトイレを持ち込まれては大変と感じるかもしれない。それは遊具にも言える。
とある新規の公園建設説明会で聞いた話は面白かった。地域住民の何人もが、公園内には人気の出るような遊具や施設は絶対に置かないでほしいと言う。子どもたちがいっぱい集まるとうるさくてたまらないと主張する。学校の先生と言う人は「公園などもういらない。非常に迷惑な施設だ」と言ったのには興味をもった。
私は公園調査の中で、公園は地域社会の中では有意義な施設だとずっと思っていたが、立場や環境が変われば、意見も多様になることも多々あると思い知らされた。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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男女別型(誰でも用付設)トイレ。
ちょうどトイレ清掃の時間帯にぶつかった。駅などの公衆トイレもそうだが、今はそうした時間帯でも使わせてくれる。いつからそのようになったのかはよく分からないが、以前は清掃中の利用は出来ないのがほとんどだった。公園トイレも同じで、その時間帯にぶつかると、「清掃中です」と入所を厳しく断られたものだ。利用者の安全安心と保護をきちんと整えた結果なのだろうか。
多くの人々の公衆トイレの利用は切羽詰った状況下においてだろう。私のように調査の一環として楽しみにしている人はほとんどいない。だから、いつでも利用できる状況にしておくのが公衆トイレの絶対必要条件なのかもしれない。ただし、都心部の公園トイレの「誰でも用」の一部には完全閉鎖や時間閉鎖、或いは利用登録制などを行っているものも近頃は多い。不正・不道徳な利用を防ぐためのようだ。
公園トイレや公衆トイレも社会の変化の渦の中にある。

男女別型トイレ

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トイレの前にベンチとは、これはいたって斬新なカップリング。マリコさまだってこんなデートはしたことがないだろう。
まぁー、デートのためにここへベンチを置いたとは考えづらい。誰かが悪戯でここまで運んできたか、高齢者用に設置したあたりだろう。しかし、爺さん婆さんは公園に来るとあんがいベンチには座っていない。皆、一所懸命に歩いたり、ぶらぶらしている。皆、健康のためにやって来る人が多いようだ。だいたい、ベンチに座るためなら、わざわざ公園まで来ないで、自宅の居間にてい、嫁さんに「あれ持ってこい、これ持ってこい」といびっていた方が楽しい。
私のお勧めする公園ベンチの利用法は一つ。女性との別れ話はここに限る。しかし残念かな、私はこの方法を実践してはいないので、お勧めはするが、確実な効果は実証されていない。科学には実証的根拠が不可欠なのだが、ひたすら男ヤモメを続けている私に、「女性との別れ」などあろうはずもない。大体、恋など無縁でジジィーになった男である。
科学を愛好するみなさん、公園のベンチが別れ話に有効であることを誰か実証して頂けないだろうか。

男女別型トイレ

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公園トイレの前にはよく自転車が停められている。写真の通りだ。
自宅からわざわざ自転車で公園トイレに来たのか、それともどこかへ移動中にトイレに寄ったのかは不明だが、ぜひ「寄った」であってほしいと思う。「わざわざ」だと、大都市東京の住人に一部には棲家を構えていてもトイレを思いっきり使えない人々がいっぱいいるなんて想像したくないからだ。しかし、現実には電気料金、ガス料金、水道料金の払えない人々がすでにいっぱいいるのは事実。餓死が当たり前の世の中になりつつあるのだろうか。
公園の水飲みから水を盗み自分の車を洗車する輩、トイレのトイレットペーパーを盗んでいく輩、花壇から花を盗んでいく輩、お花見で他人の料理をかっぱらう輩などなどみんな異常である。人が壊れ、コミュニティが壊れ、社会も壊れているのにみんな知らん振りをしている。他人事ではないのだ。

男女別型トイレ

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男女別型トイレ。
写真のトイレはもう古い部類に入るトイレだが、最新式トイレには水を使わないで済むバイオ型トイレと言うのもある。震災時など、水が使えない状況でもトイレが使えるように工夫されたトイレの一つがバイオ型トイレと言われるもの。ただし、そうした最新式が多くの人々の利用が予想される混乱時にちゃんと機能するかどうかの不安はぬぐえないのが現実。
日本のマラソンの多くは冬に行われるが、オリンピックは夏の前後と言う過酷な状況下で行われる。最近の全体としての日本人選手の順位は結果としてすこぶる悪い。理由はいろいろあるだろうが、状況への対応力が極めて弱いことが要因の一つだろう。
同じことは災害時等を念頭に置いたバイオ型トイレもちゃんと機能するかどうか、はなはだ疑問である。だいたい、そうしたトイレを設置した後、ちゃんとした訓練を行っていると発表された例を私は知らない。訓練もしないで、実際時に役立つなんて考えているとしたら大バカモノ以外の何者でもない。練習もしないでホームランを年間100本打てると豪語するノータリンと同じだ。
防災の日はまだまだ遠いが、今からすぐにでもいろいろなことを検討すべきである。

男女別型トイレ

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男女別型トイレ。
こうした一見、板張り風のトイレもこれからどんどん減っていくのだろう。既に世間には、要塞のような全面ステンレスづくりのトイレや鋼鉄製かなと思えるトイレもある。これに石造りのものが加われば怖いものなし。もう木造モルタルづくりのものなど、過去の遺物になりかねない。しかしそれほどまでにしても公園トイレは公園のメイン施設にはなれない。
都心にはトイレ公園。要は道の駅のようなトイレだけの公園を造ってもトイレ公園と呼ばれるだけで、子どもたちや家族は遊びに来てくれない。公園は「遊び人」がいてナンボの世界だ。トイレ利用者がいくらいっぱいいても誰も「立派な公園」とはよんでくれない。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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男女別型(誰でも用付設)トイレ。
こうした利便性の高いトイレの設置が進むことは、いろいろな障害等をもつ人々にとっては、出かける選択肢が広がるので大変良い。しかし地域社会で清潔に、そして大切に利用されていた古いタイプのトイレをどんどん無くして行くのは一方的過ぎる。
トイレだって文化価値はある。時代と共に公衆衛生を担い、地域社会の安全を培ってきたトイレを「古い」だけで根絶させるのは、文化文明の履き違えでしかない。爺さん婆さんだって社会には絶対必要だ。世の中、子どもと若者と青年ばかりがうようよしていたら、青臭くて気持ち悪い。早春の花々も良いかもしれないが、枯れススキやドライフラワーも味わいがあってスルメのように良い。スルメは軽くあぶって醤油とマヨネーズで食うと旨い。もっと旨くするにはマヨネーズに七味唐辛子を振り掛けると、より味わい深くなる。
私の正月は一人でこれをぼりぼり齧りながら、楽しく過ごした、ことにしておこう。

大小別型トイレ

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大小別型トイレ。
外壁のデザインこそ違え、それを除くとよく見かけるものと非常によく似ている。
トイレ形もいろいろで、あっけにとられるほど独創的なものもあれば、いつかどこかで見たものに非常に似ているものがあったりと、見ていて楽しい。また、頑丈だけがとりえのものもあれば、匂いがこもるのではないかと危惧する形のものもある。はたまた、あっけらかんとした造りのもまである。また、バブル時代を創造させたり、お城のようなものもある。工事現場にあるような簡易型トイレもまだまだいっぱいある。また、トイレをオモチャの国のようにデザインしたものもあれば、潜水艦のようなトイレもあった。はたまた超高級マンションのような造りのものもあれば、帆船に似せたトイレもある。ことは然様にいろいろで、私のようなビンボー人には「あ・・・住んでみたい」と思うようなトイレのいっぱいある東京の公園は天国なのか、それとも地獄なのか・・・本当のところはよくわからない。

誰でも用トイレ

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このトイレにも非常ボタンが付いている。
この誰でも用トイレは立派で頑丈なつくりだが、工事現場や粗末な小型公園などでよく見かける簡易型トイレと基本的には変わらない。社会が裕福になり、公共施設も立派になると、公園トイレも時代の要請を受け、こうしたトイレを作り出した。
私が子どものころに育った家は木造平屋のオンボロ賃貸住宅で二軒つづきのミニ長屋だった。その隣りの家ではトイレが故障し使えなくなると、そこの年老いたご両親は近所の公園トイレを使っていたと母が教えてくれたことがある。当時の大家はトイレの故障ぐらいでは何もしてくれない。私の家でも床の一部が抜けていたにも係らず、ずっとそのままだった。
鉄道の駅トイレも異臭を放つほど粗末なものが多く、唯一きれいだったのがでデパートのトイレだった。あれこそ、文明開化だったような気がする。

男女別型トイレ

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ぜいぶん開けっぴろげのトイレ。こんなトイレが他にないわけではない。
最初からこうだったのだとすれば、それはそれで案外凄いことかもしれない。何をどう考えて「これは売れる」と思い、その通り、結局売れたので今ここにあるのだ。それにしても見れば見るほど開けっぴろげだ。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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誰でも用や障害者用の付設されたトイレには「緊急灯」が付いている。中から異常を知らせるためのものである。
「異常を知らせる」ことが出来る程度の異常ではない、もっと深刻な状況では異常を知らせるボタンも押せない。こうしたことにも対応できるシステムが本当は必要なのだ。
トイレの進化はここにきて著しいものがある。しかし問題はそのずっと前にある。トイレの設置場所だ。園内のどこに置くかだ。それによっては立派なトイレも宝の持ち腐れになりかねない。
「宝の持ち腐れ」はみんなあるような気がする。身に付けるものだったり、別荘だったり、宝飾品だったり、彼女だったりするが、私はそのどれも持っていないので、心配すらできない。私が唯一「宝の持ち腐れ」と思っているものは、実家の玄関先に貼り付けてあったネームプレートだ。実家を取り潰すときもらってきたものだが、オンボロアパート住まいじゃ取り付けようもない。父さん、母さん、ごめんなさい。

男女別型トイレ

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ちょっと古いタイプの男女別型トイレ。
トイレの中とは理解し難い雰囲気をもつ空間。オシッコをしながらタバコをふかす男やら、用を済ませた後に唾を吐く奴。こいつらはどんな神経を持っているのだろうか。女性でもこうしたことをする人はいるのだろうか。
こんな奴らは高校次第にトイレでタバコを吸っていたに違いない。どうしてトイレでタバコを吸って先生などに見つからないと考えたのだろうか。そのあたりがお頭の良くない男の子の特徴なのかもしれない。
トイレの備え付けの鏡を外して持ち去る奴ら。トイレから持ち出した鏡でどの面をみるのだろうか。ドロボーと額あたりに書いてある自分の顔をしげしげと見たいのだろうか。
そうそう、とある公園の個室トイレ内にきれいにパックされたままのイチゴ一箱が便器の前に正しく置かれていたのも見たことがある。イチゴの神様に神聖な祝詞でもあげていたのだろうか。そんな奴はどんな風体をしているのだろうか。
公園トイレには心身とも健康な人々もたくさんやって来るが、心に闇を抱えた輩もたくさんやって来ているようだ。

男女共用型トイレ

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男女共用型トイレ。よく見かけるタイプのもの。
公園トイレを見ていて楽しいのには理由がある。まず見ていて面白い。本当にいろいろなタイプのトイレがあるので、住宅展示場のハシゴをしている気分になれる。説明員はいないが、それの方がずっと良い。もともと「買う気」などないからだ。古いトイレ、新しいトイレ取り混ぜていろいろな機能やデザインが違っているので、その時代の風景が感じられる。天井に群がる嫌われもの昆虫も気持ち悪くて、それなりに素敵だ。
トイレを清掃にくるおじさんたちもなかなかカッコいい。一日に何箇所も回るので、その作業が機能的であるのも見ていて楽しい。パッと来て、サッと仕事をし、グルッとすっ飛んで次へ向かう姿は仮面ライダーより魅力的。
まぁーいろいろ好き勝手なことを書いたが、とうとう自分の家を持ち得なかった自分への鎮魂歌の意味合いもあるかもしれない。それにしてもトイレ好きか、人には言えない秘密だ。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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新しい男女別型(誰でも用付設)トイレ。脇に倉庫も付いている。トイレの建物に備品倉庫等を付設させたつくりは新しいものではない。作業員詰所などを付設させたものもある。だいたいトイレのある建物をトイレ建物と言いきってしまうのには問題が多い。立派な地域集会所の建物に公園利用者が外部から直接入れるトイレを設置させているものもある。こうした場合はトイレ建物などとは決して言わず、やっぱり地域集会所だろう。
だいたい公園はトイレがメイン施設ではない。このブログではメインになっているが、それの方がおかしい。おかしいから続けているのだ。「嫌われ者世にはばかる」なる迷文もある。公園にトイレがなければ、みなさんは関係ないだろうが、私は困る。大いに困る。困ることを大切にする心がなぜ悪い。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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最新型公園トイレの一つ。
男性用扉に貼り紙があった。「扉が外側に開くので、この近くで遊ばないでください」と。扉を外側に開くのか、内側に開くのかのタイプはいろいろだ。
公園トイレをつくっているメーカーはどのくらいの数あるのだろうか。便器等のメーカーは限りがあるが、それらを組み合わせて公園トイレにする事業者は数限りなくあるような気がする。街中の家の種類を考えれば、その数を想像するのは難しい。大中小、カラフル・地味、粗末・ボロボロ、山小屋風・海辺風などといろいろあって面白い。本当に見ていて飽きないし、すぐにオシッコがしたくなる。
粗末なオンボロアパートに住んでいて、何を言うんだといわれれば、そうかもしれないが。

男・誰でも用別型トイレ

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平成23年、明けましておめでとうございます。
男・誰でも用別型トイレ。
去年も公園トイレ、そして今年も公園トイレ。公園トイレ専用のブログなので、トイレのことしか書かないのは当たり前だか、それにしてもトイレのことばかり。書いていても嫌になることだってある。
トイレで金を稼いでいるわけでもなければ、公衆衛生に並々ならぬ思いいれを持っているわけでもない。はたまた日本トイレ党の総裁でもなければ、トイレから社会変革をなどと主張していることもない。尿道結石になったこともない。それなのに公園トイレについてあーだこーだと記している。他に主張したいこともないので、だらだら続けているのが、この公園トイレブログ。
たぶん、今年も飽きもせず内容のない駄文を綴るのだろう。ご迷惑をおかけしますが、お許しください。

男女別型トイレ

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男女別型トイレ。
今年も一年中、公園トイレを見て回っていた。特段、おもしろいことは何一つなかったが、昨日12月30日も今年最後のトイレ詣で7.8ヶ所のトイレに入り浸り、水を流してきた。(お掃除をしてきた訳じゃない)
もうこんな生活は嫌だと思いつつ公園調査に励んでいたら、いつしか23区最後の世田谷区に行き着いた。別段、公園トイレの研究に一生を捧げているのではない、はたまた公園トイレの本を書きたいなどとも全く思っていない。なのに公園トイレに行き続け、今年も終わろうとしている。いったい人は何のために生きているのだろうかと薄汚れた近所の馬頭観音の前で考えた。しかし結論はない。結論など初めから信じていない。
たぶんこのブログを見ている人など2.3人もいないだろう。いなくて十分。孤立無援の意地っ張りだけでこの年まで生き続けた。もうやることはほとんどない。
明日は「あけましておめでとう」のトイレ写真を一枚アップするだけて、私の元旦は終わる。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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こうした男女別に屋根も別個にしたトイレもよく見かける。その理由はよくわからない。見栄えの問題ではなく、何か機能的な理由があるのだろうか。あってほしい。また、誰でも用が男女の間(中間)に設置されていることも多いが、女性側に付設されていたり、男性側にある場合もある。どれを選ぶかは設置者の意向だろう。
今日も今から公園調査に出かける。いくつものトイレも見てくる。(トイレを見てくるだけではない。)
年末だと言うのにいったい俺は何をしているのだろうか。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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このトイレはちょっと大きめの公園に設置してある「男女別型(誰でも用付設)トイレ」の典型の一つ。これに外部災害用トイレが複数個付設されていれば、最も今風のトイレである。
今風のトイレで言うなら、最初の公園調査で発見したとあるトイレは古風そのものだった。厠に近いもので、こんなものが公衆トイレとして残っていることに驚いたものだ。
それは板橋区の端に位置する粗末で短いな緑道にあったもので、利用者も少ないことを物語っていた。数年ほど前、記念に写真を撮ろうと思い、改めて向かったが、それは既に撤去されていた。こんなトイレも以前には「公園」にもあった良い見本と思ったのだが、残念だった。それ以降、これは古いと思える素敵なトイレにはお目にかかれないでいる。最新で斬新で、地域社会に必要で、誰からも支持されるトイレもいいが、世間から忘れられた時代のポケットに入り込んでしまったようなトイレもまた味わいがある。もし私におまけの時間が残っていたら、せめて関東だけでもトイレの旅をしてみたい。これが唯一無二の願望である。あー古いトイレが恋しい。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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トイレ外壁に小型の掲示板が設置してある。急いでいる人には無視されるが、所要を終え、平常心に戻った人々は掲示板に貼られた情報をゆったりした気分で見てくれるかもしれないし、指名手配犯を探すヒントなどを思い出すかもしれない。
「トイレの後はすっきりした頭で犯人探しを!!」なんてコピーが防犯協会のCMで流れたりするかもしれない。そしてそうした情報で捕まった犯人は「ちくしょー運がねぇーや」などと喚く。これで一連のストーリーは完了する。
しかし実際の公園トイレの利用者はそんなことは一つも考えていない。無表情で、無感動で、無料で、無言で、ただ便器の前に立ち、所要を終えると水も流さず手も洗わず去っていく。頭の隅で天井にへばり付いていた虫のことにちょっとだけイラッとし、外で待っていた彼女の春子ちゃんと手をつないでおいしいラーメンを食べに行く。
はっきり言って、私もそんなデートがしたい。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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トイレの名前が大きい。分かりやすくて良いかもしれないが、トイレの文字を見ないとトイレの分からない人も少ないだろう。私のように「トイレの近い」人は鼻が利く。音楽音痴、味音痴、オンナ音痴、勉強音痴と音痴ならいくらでも私は持っているが、ことトイレには鼻が利くが、これを自慢したことはない。自慢したくてしょうがないのだが、この世の中、そんな優しい人間は一人もいない。嘆かわしいことだ。
さて、それはそれとして、男用の小便器の形とサイズは昔に比べるとかなり大きくなっているように思えるのだが、イナックスさん、どうなんでしょうね。一般的に図体が大きくなっていることと関係しているのかなぁー。私のようなチビ・デブ・ブスのハゲジジィーには何も関係ないのですが。

男女別型トイレ

男女別型トイレ。
窓枠風の場所にデザインが施されている。製作者の意図としては、それが遠目からステンドグラスを模したように見えることが狙いだったのかもしれない。公園トイレの外壁にステンドグラスがはめ込まれていたら、それは凄いことだ。高価であり、犯罪を助長するようなことになりかねない。そうでなくとも壊されたりすることは十分考えられる。
公園の「ステンドグラス」はこの程度がいい。オシッコだって安心してできる。
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男女別型トイレ

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このトイレのことではないが、少し古いタイプの公園トイレは、どこかお化け屋敷に入り口を想像させる。だいたい何をどうすればいいのか、何をどうしたいのか、ほぼみんなの目的は一緒なのだが、入り口を入る気分は案外緊張と安らぎと、妙な期待感が混在する。
公園トイレは「好き」だから案外よく利用するが、お化け屋敷はもうずっと行っていない。お化けの姿かたちもテレビで見るぐらい。そろそろ本物のお化けに出会いたくなった。

男女別型トイレ

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今の風潮であれば、この大きさなら「誰でも用」が付いてて当たり前の大きさをもつトイレ。
意味もなくトイレをデカクした時代もあり、今そうしたトイレに入ってみると中の構造がすかすかであることに驚かされる。そんなにしてまで巨大トイレをつくった意味はよくわからないが、公園施設を何でもかんでもモニュメント化する傾向の中での巨大化とカラフル化などが突き進んだものと思われる。今では単なるトイレの巨大化ではなく、施設のユニバーサル化や震災時の対応化など、地域社会のもしもの時に役立つつくりになっている。

男女別型トイレ

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トイレ外壁にいろいろなデザインが施されていることは多い。トイレと言う無味乾燥な施設を「少しでも明るい風景の中に」と言う努力なのかもしれない。しかし私が考えたのはそんな洒落たことではなく、もっと下品なことだ。
外壁にデザインされていたロボットは「オシッコをするだろうか」なる疑問だ。鉄腕アトムにも鉄人28号にもオシッコのシーンはなかった。エイトマンにもなかった。やっぱりロボットはオシッコもできないのだ。だったら「おねしょ」も知らないはずだ。そう言えば、私はよく「おねしょ」をして母親に叱られた。
今では介護施設に入っている母親の洗濯物をするのは私の務めだ。

男女別型トイレ

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写真でもわかるように丁度トイレ清掃の時間帯にぶつかった。
この仕事は大変だろう。いくつかの公園で出会った清掃の人と立ち話をしたが、想像していたよりきつい事柄がいくつもあった。内容は差し控えるが、いろいろ大変で頭が下がった。
そうした中のある人は占いが趣味だと言っていた。以前、占い師もやっていたと。なぜやめたんですかと尋ねると「いやいや」と笑ってごまかされた。占いも商売になると相当きつそうだ。
人はいろんな事情の中で今の仕事をやっている。「仕事」とは、誰にでもできるから仕事と言うのは分かっているが、それもなかなかそう単純ではない。
おじさんの仕事は速かった。「ご苦労サンです」と礼を言うと、おじさんは仕事道具を単車に積み、片手を挙げるとイージーライダーのように颯爽といなくなった。あの急ぎようからすると、私の人生は凶と出ていたのだろう。そうか、仕方ないか。

大小別型トイレ

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お城風の大小別型トイレ(小型)。お城風の建物でオシッコをするのもなかなか洒落たものだが、中の構造は厠風ではなく、普通のつくり。当然といえば当然であろう。

男女別型トイレ

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公園トイレには外壁がコンクリート打ちっぱなし風のデザインをしたものが少なくない。公園ではそれがまた似合う。
お城風だったり山小屋風だったり刑務所風だったりと奇妙奇天烈にデコレーションしたものより数段清々しい。

男女・大小共用型トイレ

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以前にも書いたかもしれないし、書いていないかもしれないが、こうした男女・大小共用型トイレが今後、トイレの設置されていない小さな公園に増えていくのか、そうでないのかに私は関心をもっている。小さな公園における公園施設の社会性を管理者がどのように考えているのかが分かると思っているからだ。これはトイレ一つの問題だが、簡単に水に流せることではない。

男女別型トイレ

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なんか新興住宅地にできた安手の建売住宅みたいなトイレと思いませんか。
小さな幸せもいいが、やっぱり大きな幸せの方が良いに決まっている。しかし、そんなことは夢のまた夢。私の住むオンボロアパートは今でもトイレが共同。これ、今じゃ憲法違反じゃないの。

男女別型(障害者用付設)トイレ

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どこかの遺跡公園にあったトイレ。東京23区にも立派な遺跡公園や立派じゃない遺跡公園を取り混ぜていろいろある。
これは立派な遺跡公園にあったトイレで、それ風の感じを醸しているのがわざとらしくて嫌だ。

男女別型トイレ

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トイレの周りには潅木が植えられている。ここではツツジ類とヒイラギナンテン。
ヒイラギナンテンが植えられている理由ははっきりしている。葉っぱにギザギザがあるので、それを植えてトイレの周辺に近づけないようにしているのだ。
こうして植えられるヒイラギナンテンも可愛そうだが、この植物、実は黄色い花をいっぱい咲かせて、案外素敵な植物なのだ。決して「トイレ花」などと言ってはいけない。

男女・誰でも用共用型トイレ

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オールオッケーのコンパクト型トイレ。ただし、犬の糞をこの中に流してはいけない。絶対にやるな。故障する原因に直結するからだ。
まともな「愛犬家」のみなさんはそんな無茶はしていませんよね、絶対に。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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写真を撮った角度が悪いために「誰でも用」の部分が写っていなくて申し訳ない。
それはそれとして、公園にある「公園トイレ」と公園にある「公衆トイレ」との表示の違いには何か意味でもあるのだろうか。単なる自治体の表示の違いでしかないのか。本当にどうでもいいことなのだが、ずっと気になっていることなので・・・。

男女別型トイレ

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建物自体をわざわざ男女別にしている。割高ではないのだろうか。こんなことをするメリットはあるのだろうか。
公園トイレにも不可解なことはいくつもある。

男女別型(誰でも用付設)トイレ

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写真では分かりづらいが、このトイレには誰でも用が付設されている。
薄暗い緑道公園の出入り口脇に新しく設置されていた。この緑道公園には池と流れがあり、初夏になると子ども達がザリガニ釣りにやって来て、バケツいっぱいとって行く。子ども達は「せんべいでも釣れる」と言っていた。

男女別型(障害者用付設)トイレ

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少し古いタイプの男女別型(障害者用付設)トイレ。何が何でも左右対称にこだわった形跡があり、とても面白い。
男女平等、夫婦平等、戦争反対などなど、どれも正しいのだが、このトイレほどのこだわりをきちんと人に伝えてはない人々が多いのはなぜだろう。私もその一人だが。